コラム・エッセイ

「ボディ&ソウルという文化」

ayagu

1991年08月14日 水曜日

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エッセイ   written by 二城 教 (ボディ&ソウル常連客=文筆業)  © 1991

ボディ&ソウルの店内の一角には、ヘンなドアがある。はじめて訪れたお客さんは、大抵、そのドアの取手をグイと引いてみるのだが、 そのドアが壁に埋め込まれていることを知って、あれっ、とバツが悪そうに首をかしげて通りすぎる。

その鉄扉、実はかってボディ&ソウルが六本木にあったころの入口だったドアである。グレーの塗装も色あせて年期の入ったその鉄扉には、さまざまな サインが落書のように、ところ狭しと描かれている。アートブレイキー、スティーブガット、チックコリア、ナンシーウィルソン、スティービーワンダー、 ミルトジャクソン、ハンクジョーンズ、パーシーヒース、エディゴメス、マイケルブレッカー、ドンチェリー・・・・・・と、数え上げればキリがないほど多く のサインを読み取ることができる。

1974年、新宿の百人町で生まれたボディ&ソウルは、これまでに3回引っ越しをしている。新宿から六本木へ、六本木から北青山へ、北青山から現在の南青山へ。 その六本木では店内の大改装を1度行なっているから、都合4回、店は様変わりをしているのであるが、ボディ&ソウルを訪れたミュージシャン達は、自分のサインを 壁といわずドアといわず残していった。
そして、引っ越しや改装をする度に、さて、そのサイン、どうやって新しい店内に写し取ろうか・・・とオーナーである関京子が、いつも頭を痛めたという代物なのである。 現在の店の入口の壁面には、たくさんのサインが書かれた六本木の頃の壁が、原寸大の写真で再現されてもいる。

このドアと壁に象徴されるボディ&ソウルの財産。それは、サインに残された数多くの来日ミュージシャンに代表される、内外のミュージシャン達とボディ&ソウル との親交の広さ、深さであろう。そして、そのことが物語るミュージシャンからの信頼の厚さといえるだろうか。コンサートやツアー、あるいはブルーノートなど資本力のあるライブハウスに出演のため来日したミュージシャンは、アフターアワーズにはほとんど必ず ボディ&ソウルに立ち寄り、そこで即興のジャムセッションがくりひろげられる。これこそ、他のライブハウスでは味わえない、ボディ&ソウルの大きな魅力のひとつであり、 多数の常連客が通ってくる理由でもある。

その常連客の中には、前駐日アメリカ大使アマコスト氏をはじめ、イタリア、オランダ等、各国の大使館員やマスコミ関係者、作家、芸術家も多く、大げさに言えば ボディ&ソウルは国際的社交場として機能している。オーナー関京子は、経営者としてだけでなく、ジャズ文化を基礎にした文化交流の担い手として海外の紙誌のインタビュー などに登場したりもしている。

オーナー関京子の執拗なまでのジャズへのこだわりは、つねにベストを尽くすことをミュージシャンに厳しく求め、Somethingを期待する。それは、ここからレコードや ライブを通じて世の中に出ていったミュージシャンが、単なるミーハー人気ではなく、みな実力派として認められていることからもうかがえる。伊藤君子、マリーン、 金子晴美、チャリート、上野尊子、五十嵐一生、野力奏一、・・・。また、オーナー関京子の音に対するこだわりは、ライブサウンドの良さとして定評があり、すでに数々のライブレコーディング盤として結実している。

ボディ&ソウルという店に流れる空気は、数あるライブハウスの中にあって、独特である。善につけ悪しきにつけ、オーナーのキャラクター、哲学、嗜好などが色濃く反映され、 そうした空気になじんだ常連客とミュージシャンたちが共に作り上げてきたボディ&ソウルという存在は、ジャズという音楽が接着剤のように結びつけたひとつの文化、 といえるかもしれない。例えば、大晦日には日本のジャズミュージシャンの忘年会ともいえそうな大勢のミュージシャンが集まり、お客さんと共にカウントダウンで年が明ける。 ボディ&ソウルならではの恒例行事となっている。

文化をもつライブハウス・・・他のライブハウスにはない、ボディ&ソウル最大の特長である。

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